私は結構、本を装丁で買うことがある。
『フランケンシュタイン』は美麗なイラストに惹かれて角川文庫を選んだし、『老人と海』も美しい色使いに惹かれて新潮文庫にした。
そのせいで本棚はまとまりがなく、ややコンプレックスである。もっと色彩の整頓された美しい本棚を作り上げたい。
さて、この度読んだジョン・ゴールズワージー著の『林檎の樹』も例に埋もれず、表紙の水彩風イラストに惹かれて買ったのだった。
美しい恋愛物語なのだろうか……と思っていた。が、読んでみると、愛情の残酷さや軽薄さというものを考えさせる奥の深い物語だった。
『林檎の樹』を読む
唇を求め合うふたりは、何もしゃべらなかった。言葉を口にすれば、その瞬間、すべては現実でなくなってしまう。春は何も語らない。さざめき、ささやくだけだ。
この物語は、主人公の男性・アシャーストが妻に言われて車を降りた先で風景に不釣り合いな墓を見つけたことがトリガーとなり、過去を回想するところから始まる。
これはアシャーストとミーガンと呼ばれた少女との物語である。
ロンドンの学生だったアシャーストは、旅の途中で果樹園のある農場で泊ることにした。
そこにいたのが、ミーガンと呼ばれる可憐な少女だ。アシャーストとミーガンは互いに恋に落ちた。
愛情を育み合ったのは、タイトルにある通り「林檎の樹」の下だった。
しかし、結婚の準備の旅に町へ出たアシャーストがミーガンも元へ戻ることはなかった。なぜなら……。
この恋はけっして他人事ではない
『林檎の樹』の主人公・アシャーストの恋は、決して他人事とは言えない。
現実の恋をしている人にとっても、アイドルやキャラクターと言った偶像(こう表現することを許してほしい)を推している人にとっても。
私には、アシャーストと同じような経験がある。といっても対象は手の届く範囲という意味で実在する人間ではないのだけれど。
とあるアニメを見、その登場人物がとても気に入ったので、そのアニメを推そうと魂レベルで誓った。しかしその数日後、今の自分がもっとハマるアニメを見つけたことがあった。
魂レベルで誓った愛はたった3秒で消え失せ、私の熱意は新しいアニメへと移ったのだ。
これはアシャーストの身に起きたことと同じだ。
たった一つ違うことがあるとするなら、次元が違うこと。
アシャーストはミーガンを捨ててしまい、ミーガンは悲劇的な末路をたどった。しかし、私が愛していた推しというのは、私のことが見えていないのである!
人間はたったの数秒で、悩むポーズをしながらも簡単に宗旨替えできてしまう生き物なのだ。
その点、私の示す愛情や熱意が『唯一の個』として届くことのないアイドルやアニメキャラクターというのは、非常に優しくもあり、安心できる存在だ。
つくづく、愛情とは冷酷なものであると思う。
まとめ
『林檎の樹』は残酷な話だけれども、その憎々しさを感じさせないほど美しい情景描写が特徴的で、この本の魅力でもあります。
表紙の水彩風のイラストの淡さや鮮やかさがぴったり合っている。
読み終わったときに、ふと夢からさめたような感覚がした。どうやら私は、ゴールズワージーの描く美しい世界に没頭していたようだった。