正直、表紙の美少年の絵とタイトルにエロティシズムを見出して買ったと言っても過言ではない、ジャン・コクトー著の『恐るべき子供たち』。フランス文学は嫌いではない、むしろ好き。だが『オペラ座の怪人』や『シンデレラの罠』を読んで思ったのが、フランス文学は冗長気味で読むのに根気がいるということだ(偏見)。
人に薦めておいて自分は読まないとは何事だ。感想を語り合おうよと言われた時に「ちょっとあんまり覚えてなくて~(笑)」で逃げ切ろうとしてすみません。ということで、約1年間本棚で温めに温めたこの本を、読書週間再開の一冊に選ぶことにした。
読んでみれば、さすが「芸術のデパート(と書いてジャン・コクトーと読む)」。4人の少年少女たちが作り出す異質で狂気的な世界に一瞬で惹きこまれた。
ダダイズムやシュルレアリスムの雰囲気のある退廃美の一冊を、紳士淑女の皆々様はぜひ読んでみてほしい。
『恐るべき子供たち』を読む
──ダルジュロに会ったかい?
──うん……いや、会わないよ。
シテェ・モンティエに住む姉弟・エリザベートとポールの暮らしは、ポールがダルジュロという少年を愛したことがきっかけで、徐々に変化していく。雪合戦でダルジュロが投げた雪玉が直撃したポールは、その後病気になってしまったのだ。そして、ダルジュロは素行不良で学校を退学した。
病床のポールと母を看病していたのはエリザベートだった。エリザベートとポールは、見舞いに来るジェラールを巻き込みながら、危なっかしい空想の世界での遊びを楽しんでいた。
その後、エリザベートは働きに出た。そこで出会ったアガートという少女を巻き込み、空想の世界はポール、エリザベート、ジェラール、アガートの4人で構成されることになる。だが4人の子どもたちの空想の世界の均衡は、長くは保たれない。なぜなら彼らは大人になっていくからだ。
大人になること拒んだ果てに
姉と弟とは、それでも相変わらず試みながら、どうしてもその中にひき込まれることができなくていらいらした。彼らは放心の世界へもう「出かけ」られなくなった。
タイトル『恐るべき子供たち』というからには、「子どもであること」が重要なのだろう──と考えながら読み進めていた。
この物語は、ポールとエリザベートという愛し合っている姉弟の世界に、彼らの友人たちの人生が混じり、絡まり合うことで崩壊し衝撃のラストを迎える。
どうしようもなく大人になるということ。若かりし頃の無敵感がなくなり、思慮深くなること。理解できていたものが理解できなくなること。昔のままではいられない、避けられない精神の成熟により運命が複雑に絡まり合うこと。その先ににじみ出る狂気と、そうなることを避けられなかった悲劇的な結末。
大人になる以上、潔癖を望んでも潔癖のままではいられないということを、この物語は残酷に示してくる。
それにしても、一足先に大人になるのかと思ったエリザベートが、誰よりも最後まで一番子どものように純粋な愛情を狂気的かつ打算的に叶えようとするのが美しかった。残酷だった。アガートとの対比も相まって、エリザベートの一挙手一投足から目が離せなかった。
まとめ
この物語で提示される盲目的で純粋な愛情や空想、無敵感。それらに近い何かを、私も子どもの頃は持っていたように思う。今では考えられないけれど、確実にそういう時代があった。
子ども時代が懐かしい。けど、当時の狂気的で無鉄砲な振る舞いはどうにも黒歴史って感じがするので、正直忘れてしまいたいところでもある。
感想文を書くにあたり調べていたのだが、どうやら『恐るべき子供たち』は我らが萩尾望都先生がコミカライズしているらしい。ぜひ時間を作って読みたい。