創作活動や同人活動をしていると出くわすアンチ・荒らしという存在。
人を攻撃して楽しんでいる彼らの存在には、正直に言ってイラっとさせられます。
あるいはアンチの存在が理由で創作意欲が削がれ、創作の手を止めてしまった人や、引退を考えてしまう人も少なくないのでしょうか。
私も過去に、かなり粘着質なアンチに絡まれたので、気持ちがとてもわかります。
そこでこの記事では、あらゆる同人活動や創作活動をしている作家・クリエイター向けに、アンチ・荒らしの心理や生態についての考察をお届けします。
また、アンチに対する怒りや哀しみを乗り越え、かつその負の感情を創作活動に活用するためのアイデアも紹介します。
このアイデアは、私も普段から取り入れている方法なので、ぜひ参考にしてもらえたら嬉しいです。
それでは、お好きなところからお読みください。
インドア生活堪能中のフリーライター兼塾講師、ゆるめのガジェットまにあ。
読書・お絵描き・小説・カメラ・ミュージカル鑑賞が好き!
記事執筆のご依頼はlunenoir-works1228@yahoo.co.jpまで
アンチとは
アンチとは、SNSなどで対象への批判コメントを書き込むような人、および行為のことを指します。
人間には往々にして「好き・きらい」があります。
思想の自由が保障されています。
なので「〇〇がきらいだ」と感じること自体は個の自由です。
しかしそれを表立って発信する人──動画サイトでわざわざ「きらい」「うざい」などのことを書き込んだり、創作者の作品について罵倒したりする人については、彼ら彼女らのモラルが疑われます。
荒らしとは
荒らしとは、アンチと同様、コメント欄や掲示板などを荒らす人のことです。
粘着気質な場合が多く、揚げ足取りが得意だったり、無関係のことを書き込みまくってひたすら相手に不快な気持ちを与えたりすることに快感を覚えるやばい人たちです。
実際に私が遭遇したアンチ・荒らし
この記事を書いている理由は至って単純明快です。
それは私も以前いた某アニメジャンルの界隈で、アンチ・荒らしと呼ばれる存在に粘着されたからです。
私のいたジャンル内の、とある特定のキャラクターが好きなコミュニティ──いわゆる「界隈」内で起きたことです。
荒らしは何をしたの?
その荒らしは複数の捨てアカウントから複数の書き手に荒らし行為をしていました。
複数人を装っており、いつも指摘内容はバラバラで、すべて1人の発言だと捉えると、巧妙に意見が矛盾していたことが特徴です。
私に対しての発言に絞れば、
「〇〇さんや〇〇さんのほうが上手なのにね」
「ほかの人より読まれてなくて可哀想! 私もブックマークしておくね!」
「読んでくれる人もいるのにそんなこと言うのやばすぎ」
みたいな感じでしたね。
この荒らしの指摘は上から2番目以外どれも的を射ておらず、その人の歪んだ認知が透けているか、指摘したくてウズウズしすぎて無理矢理あら探しをしているような当てつけ・決めつけでしかありません。
バッドエンドに関しては、私から「これはバッドエンドです」とはひと言も言っていませんし、
そりゃ沢山読んでもらえたら嬉しいですが、一番の目的は「たとえカウンターカルチャー的になろうと、自分の解釈を大切にしたい」みたいなそんな感じなので、閲覧数などはあまり気にしていませんし、
「そんなこと言うのやばい」とリプを送られた私の元ツイートの内容とか「推敲外注したい!!!誤字見逃し苦しい!!!」なんですよ……w
小説やブログ書いていると分かると思うんですが、なぜか誤字って上手く隠れていて、何回やってもすべて修正できないんですよね……誤字脱字をカンペキになくすために外注したいだけなのに、むしろけっこう読者と真剣に向き合っている部類ですよ。
文章の上手・下手に関して言えば、究極的に読み手のリズムに合うかどうかなだけなので、わざわざそこに目くじら立てるのも視野が狭いんだなぁ……という感じですね。
荒らしリプに反応するとどうなる?
閑話休題。
さてさて、その荒らしさんですが、反応するとめちゃくちゃ喜びます。
もうそれは「キャッキャッ、キャッキャッ」と表現するのが最適なくらい。
「暇人なの! 構って」
と嬉々として返信・ツイートしたり、
荒らしに対して苦言を呈した私のフォロワーへリプライで、
「もっと構って欲しいからもくり(通話サービス)友だち申請していい?」
とか言い始めました。
さらにそのフォロワーを持ち上げるために、そのフォロワーがRTした絵に対して、
とリプライして攻撃を広めていく始末。
そしてある程度スッキリすると、
とか言い始めるので薄気味悪くて仕方ありません。
どの口でそんなこと言うんですか!? 痛めつけてから優しくする……DV彼氏かなにかでしょうか?
絶妙に砕けた話し方をするところも含めて、人を不快にする才能に溢れています。
アンチ・荒らしの代表的な生態10選
どうしてアンチや荒らしは、人にとって不快な行動をわざわざするのでしょう?
あまり良い例ではないと思うんですが、アニメなどで、
息子「ねーねーママ、あの人何やってるのぉ?」
ママ「しッ、見ちゃ行けませんっ」
ってあるじゃないですか。
基本的に人間には「自分に合わないもの・理解しがたいものを見たときは、知らないフリをする」のような、一種のスルースキルが備わっていると思います。
アンチ・荒らしにとって、荒らされる者は「合わないもの・理解しがたいもの」のはずなんですよ。
ではどうして彼ら彼女らはわざわざ構ってくるのか……考えられる彼らの生態(タイプ?)を10考えてみました。
ポケ〇ンでも複合タイプがあるので、恐らく奴らも複数の生態をかけもちしていると思います。
①暇人
1つ目の生態、暇人タイプ。
暇すぎる、
趣味がない、
毎日に潤いがない……
気がついたらYahoo!ニュースのコメント欄を見ている、
バズツイのリプ欄見るのが趣味、みたいな人(偏見ですごめん)。
彼らはとても暇なので、相手を攻撃すること=単なる「暇つぶし」としか思っていないのではないでしょうか。
いい迷惑ですね。
②かまってちゃん
2つ目の生態、かまってちゃんタイプ。
暇だったり、自己肯定感が低かったりして、相手にとにかく構ってもらいたい、
相手が不快な反応を示してでもいいからとにかく私のコメントを拾ってほしい、
みたいなチョット歪んでいる人。
承認欲求満たされるなら相手が傷ついたり怒ったりしてくれるだけで嬉しい。
もうむしろ「反応してくれた」という事実そのものが嬉しい、大好き。って言う。
そして反応してくれた相手に無駄に懐く。
やめてくれー!!!
構ってもらいたい・認知してもらいたい欲求を拗らせているのなら、相手の作品を褒めたりツイートにイイネや好意的なリプをするほうが幸せになれると思う。
実際に私はフォロー外の人でも、頻繁にイイネや感想をくれる人のことはアイコンもアカウント名も覚えているしbioも把握している。
③嫉妬
3つ目の生態、嫉妬タイプ。
「この人のキャラクター解釈よりも私のほうが優れているのに、どうして私は伸びないんだ!」
みたいな感情を拗らせてしまったタイプ。
ツイッターに関して言えば、絵や小説への反応数の多さ=真の実力ではないからね……。
人柄の親しみやすさ、
作品の読みやすさ、
思わずクリックしたくなるような映えやすさなど、
さまざまな要因が絡みます。
また、キャラクター解釈に関しては、自分が「これは違う」と感じても、その界隈内のメジャー解釈はどう転んでもソレってことは往々にしてあるので難しい。
私も結構界隈内でカウンターカルチャー的な解釈と作風をしているので閲覧数あんまり伸びませんし仕方がないものだと思っています。
私も他者を攻撃こそしませんが、昔は嫉妬深い性格をしていたので、嫉妬という感情が持つエネルギーの大きさには少々理解があります。
嫉妬心は創作のブーストになるので、上手く乗りこなせば素敵な作品を生み出せるかもですね。
④愉快犯
4つ目の生態、愉快犯タイプ。
特筆事項なし。速攻帰ってくれ~~!!
⑤認知的不協和(解釈違いへの怒り)
5つ目の生態、認知的不協和こじらせタイプ。
同人界隈だと「解釈違いへの度しがたいうらみ」って言うのかな?
認知的不協和については別記事で詳しくまとめようと思います。
⑥自分は特別だと思っている
6つ目の生態、自分は特別だと思っているタイプ。
この特別とは、
「私はこんなにも不幸だから、私だけは他者を傷つけても許される」
「この人は何を言っても許してくれるから、私は何を言ってもいい」
などなど、さまざまな意味合いがあります。
とくにインターネットは匿名という盾で守られているので、こういう万能感や特別感を得やすい場です。
その万能感や特別感を良いことに活用できればよいものの、くすぶった仄暗い攻撃性の発散場所としかできないのは、ちょっともったいないような気がします。
⑦初めから距離感や倫理観に対して『常識(価値観)』が違う人
7つ目の生態、「常識」が違う人。
これは上手く言語化できないのだけれど、「拾い箸」とか「ねぶり箸」みたいなもの。
それらがマナーとして美しくないと知っている人と、それらについて無頓着な人の差……みたいな、多分そういうの。
⑧ネット弁慶
8つ目の生態、ネット弁慶タイプ。
ネット弁慶とは、下記のような人のこと。
ネット弁慶とは、Web上のブログや電子掲示板などでは居丈高な調子を見せるが、実生活ではおとなしく、小心者であるような人物のことである。
ネット弁慶は「内弁慶」をもじったインターネットスラングである。匿名性の強さ(本人特定の難しさ)がネット弁慶の主な拠り所である、と見る声がある。
匿名性で人は強気になれる、万能感を得られる……というニュースや記事は実際よく見かけますよね。
YouTubeで批判コメントを書き込んでいる人が、実生活では会社に勤務して、日常生活を朗らかに楽しんでいる人だった──みたいな実話もありますよね。
ネット弁慶タイプに関しては、意見発信という意味で私もいつかそうなってしまう可能性があるので、反面教師にして自分を律していきたいと思います。
⑨現実世界で上手くいっていないとか
9つ目の生態は、現実世界で上手く溜まっていなくてモヤモヤタイプ。
他人に当てつけるな。
自分の機嫌は自分でとってくれー!
気分転換にはヘッドスパがおすすめです!(やけくそ)
⑩著しくスルースキルが低い
10つ目の生態は、著しくスルースキルが低いタイプ。
これを上手にできない人が、相手の発言で掻き立てられた負の感情を制御できず、攻撃に出てしまうタイプ。
私も昔は著しくスルースキルが低く、他者の言葉一つひとつに惑わされたり、怒りの気持ちが湧いたりしていた時期もありました(ネットではなく現実で)
大人になるにつれて次第と感情的な部分も落ち着き始め、それとともにスルースキルも多少は成長しましたが、体感として、このスキルが足りない人は短気な気質だなと思います。
スルースキル、身につけましょう。
昔読んだ本でイヤなことがあったら「気にしませ~ん」と口に出す、そしてそれ以上考えない、というメソッドが紹介されていました。
私は学生時代それを実践して地道にスルースキルを養いました。
「自分がされて嫌なことは人にしない」の常識が通じない可能性がある
基本的に私たちの多くが、幼少期から「自分がされて嫌なことは人にしちゃいけない」と教育されていると思います。
通常であれば「馬鹿にされるのはイヤだし、相手も傷つくはずだ」と想像できますし、育まれてきた良心が攻撃性を抑制してくれるはずです。
ですが、誹謗中傷や荒らし行為を進んでする人は、これらの常識を持っていないか、あるいは知識として知ってはいるが、マイルールにはない……みたいな人が多いと予測します。
荒らし行為をしている人が小学生のような若い人であれば「そういう事を人に言ってはいけないよ」と言われて更生する余地が大いに残されています。
ですが、相手が大の大人だったら、どうでしょうか。
よく「大人になったら注意してくれる人はいないよ」とは言いますが、
果たして彼らは、もし注意してくれる人がいたとして、それに耳を傾けるのでしょうか。
この「常識が通じない大人」って、正直、まだ物心ついていない・ついたばかりの子どもと比べて遙かに悪質ですし、こちらの精神がやられてしまいます。
可及的速やかにおさらばしたい。
「アンチのことを気にしたら負け」は暴論だよ
理不尽なことや間違った認知をされていたら訂正したい。
そう思うのは当たり前のことだと思います。
たとえば、
「〇〇さんがAを好きって言うのはBが好きな人を大切にしていない!」とか言われたとして、そのアンチ発言を見ていた人に、
「〇〇さんってそんな人なんだ……」って思われたくないのです。
創作絡みでなくても、
「Aちゃんって本当はBちゃんのこと嫌いらしいよ」
「Aちゃんって定時に帰るためにBさんに仕事押しつけているらしいよ」
……などと言われ、それが事実無根だったら、変な風評被害を受ける前に訂正したいものだよね。
もちろん「アンチのことを気にしたら負け」という言葉が、誹謗中傷された者を慰めるために生まれた言葉なのはわかります。
でも、風評被害を訂正したいのは間違った反応じゃないのに、どうして言われた被害者が我慢しなければいけないのだろう?
この溢れた怒りや哀しみは誰が責任を取ってくれるのだろう?
そう思わざるを得ないのです。
もちろんアンチに暴言を返すのはよくないと思う
アンチの存在はムカつくし、悲しいです。
でも、かといって、アンチに対して暴言や煽るような言葉で返すのは、自分を守るためにもやめておいたほうがいいです。
暴言を吐くことは、自らアンチと同レベルに下がることだと思います。
あなたを信頼してくれているフォロワーや読み手の人に「この方、粘着されて心配だったのにすさまじい暴言を吐いてて寧ろ怖くなってしまった……」と思わせてしまったら、後悔してもしきれないなぁと思います。
【対処法】アンチへの怒りや哀しみ、不快感は創作に役立てよう
私は月に10万字程度の小説と、そのほかイラストを描くひとりの創作活動者です。
そんな私がオススメしたいアンチへの対処法が、アンチへの怒りや哀しみや不快感をすべて創作の糧にしてしまうことです。
イメージとしては、国語のテスト。
問2.〝アンチに暴言を吐かれた(私)さんは、このときどのような感情になったと思いますか。考えて書きなさい〟
そして、自分の感情もとことん突き詰めて、精査してよいと思います。
少しずつ哀しみや怒りの感情を遠ざけていくこと
メンタリストのDaiGoさんは、誹謗中傷されたときや怒ったとき、悲しいときに、俯瞰して己の感情を考えるとよいと言っています。
俯瞰して自分の感情を分析して、少しずつ距離を遠ざけていくのが良いそうです。
「『僕は悲しい』と思った」少し遠ざけて、
「『僕は悲しいと思った』と思った」もっと遠ざけていく。
彼は己のなかにわき上がった感情を素直に認めてあげて、その上で、少しずつ自分から切り離して考える方法を提案しています。
負の感情の分析がキャラクターへの理解を深める
これを創作風に考えるとするならば、
でしょうか。
こうやって感情を突き詰めて、もっと突き詰めていくことで、創作における「怒るキャラクター」や「悲しむキャラクター」への理解が深まります。
そして、小説書きなら心理描写のアイディアを、絵描き・漫画描きならばどのような表情や仕草が出るかまで考えてしまう。
どうせアンチを受けたときの怒りは、発言者のアンチですらも、世界で誰一人として責任を取ってくれないんです。
賠償もしてくれない。手を叩いて愉悦に浸っているだけです彼らは。
ただ誹謗中傷された自分が傷つき、悲しんでしまうだけ。
それで傷つかない人はとても強いと思うし、尊敬します。
私もできることなら、おおらかで強い創作者でありたい。
でも私はナイーブだし、それができたら苦労しない。
それならば創作を楽しむ者として、「追求すること」を武器にして、より深い思考や知見の領域に達するまで利用してしまえばいいと思いました。
創作活動は素晴らしいこと
きっとこの記事にたどり着いた人は、何かしらの誹謗中傷やアンチをされて、あるいは近しい人が荒らされているのを見て悲しんだ人だと思います。
でも忘れないでほしいのが、創作することはとても尊くて素晴らしいのだということです。
その創作で表現できるレベルに自分が満足していようが、まだしていなかろうが、自分が内包する世界を表現することは尊いのです。
その尊いものを誰かが汚していい理由など、どこにもありません。
あなたがある程度品行方正な振る舞いを保っているのならば、あなたは何も悪くない。
なので、アンチの一言や二言、たとえそれが十言も浴びせられようとも、創作が好きな気持ちが少しでもあるなら筆を折らないでほしいなぁ……と思います。
今日はここまで。
ご清聴ありがとうございました。